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霊界物語コーナー

出口王仁三郎芸術館

大宮司朗先生インタビュー

 

はじめに

このテキストは八幡書店刊「電子ブック版霊界物語」に準拠しています。

従って原文にはないNo. 010104-03などの番号表示が入っています。

たとえば、No. 010104-03は、第1巻第1篇第4章の第3節を意味します。

原文は章までしかありませんが、電子ブック制作時に検索を便ならしむるため、章の下位セクターとして「節」を設けました。これは今後の物語のテキスト分析のための指標となるものでもあります。

なお、これはたんなるテキストですので、キーワードの設定もありませんし、複合検索等もできません。ぜひ、「電子ブック版霊界物語」を購入して下さい。たいへん便利ですし、縦書き表示にもなります。

 

 

霊主体従


第1巻 霊主体従 子の巻

 



No. 010001


No. 010001-01

 この『霊界物語』は、天地剖判(ぼうはん)の初めより天の岩戸開き後、神素盞嗚命(かむすさのをのみこと)が地球上に跋扈跳梁(ばつこてうりやう)せる八岐大蛇(やまたをろち)を寸断し、つひに叢雲宝剣(むらくものほうけん)をえて天祖に奉(たてまつ)り、至誠を天地に表はし五六七神政(みろくしんせい)の成就、松の世を建設し、国祖を地上霊界の主宰神たらしめたまひし太古の神代の物語および霊界探険の大要を略述し、苦集滅道(くしふめつだう)を説き、道法礼節(だうはふれいせつ)を開示せしものにして、決して現界の事象にたいし、偶意的に編述せしものにあらず。されど神界幽界の出来事は、古今東西の区別なく、現界に現はれ来ることも、あながち否(いな)み難きは事実にして、単に神幽両界の事のみと解し等閑に附せず、これによりて心魂を清め言行を改め、霊主体従の本旨を実行されむことを希望す。

 読者諸子のうちには、諸神の御活動にたいし、一字か二字、神名のわが姓名に似たる文字ありとして、ただちに自己の過去における霊的活動なりと、速解される傾向ありと聞く。実に誤れるの甚だしきものといふべし。切に注意を乞ふ次第なり。

大正十年十月廿日、午後一時

於松雲閣、瑞月出口王仁三郎誌



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基本宣伝歌

No. 010002


No. 010002-01

朝日は照るとも曇るとも

月は盈(み)つとも虧(か)くるとも

たとへ大地は沈むとも

曲津(まがつ)の神は荒(すさ)ぶとも

誠の力は世を救ふ


三千世界の梅の花

一度に開(ひら)く神の教(のり)

開いて散りて実を結ぶ

月日と地の恩を知れ

この世を救ふ生神は

高天原(たかあまはら)に神集(かむつど)ふ


神が表に現はれて

善と悪とを立別(たてわ)ける

この世を造りし神直日(かむなほひ)

心も広き大直日(おほなほひ)

ただ何事も人の世は

直日に見直せ聞直せ

身の過(あやまち)は宣(の)り直せ。



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発端

No. 010003


No. 010003-01

 自分が明治三十一年旧二月九日、神使に伴なはれ丹波(たんば)穴太(あなを)の霊山高熊山(たかくまやま)に、一週間の霊的修業を了(を)へてより天眼通(てんがんつう)、天耳通(てんじつう)、自他神通(じたしんつう)、天言通(てんげんつう)、宿命通(しゆくめいつう)の大要を心得し、神明の教義をして今日あるに至らしめたるについては、千変万化の波瀾があり、縦横無限の曲折がある。旧役員の反抗、信者の離反、その筋の誤解、宗教家の迫害、親族、知友の総攻撃、新聞雑誌、単行本の熱罵嘲笑、実に筆紙口舌のよくするところのものでない。自分はただただ開教後廿四年間の経緯(いきさつ)を、きわめて簡単に記憶より呼び起して、その一端を示すことにする。

No. 010003-02

 竜宮館(りゆうぐうやかた)には変性男子(へんじやうなんし)の神系と、変性女子(へんじやうによし)の神系との二大系統が、歴然として区別されてゐる。変性男子は神政(しんせい)出現の予言、警告を発し、千辛万苦、神示を伝達し、水をもつて身魂(みたま)の洗礼を施し、救世主(キリスト)の再生、再臨を待つてをられた。ヨハネの初めてキリストに対面するまでには、ほとんど七年の間、野に叫びつつあつたのである。変性男子の肉宮(にくみや)は女体男霊にして、五十七才はじめてここに厳(いづ)の御魂(みたま)の神業に参加したまひ、明治二十五年の正月元旦より、同四十五年の正月元旦まで、前後満二十年間の水洗礼(すゐせんれい)をもつて、現世の汚濁せる霊体両系一切に洗礼を施し、世界改造の神策を顕示したまうた。かの欧洲大戦乱のごときは、厳の御魂の神業発動の一端にして、三千世界の一大警告であつたと思ふ。

No. 010003-03

 変性女子の肉宮は瑞(みづ)の御魂の神業に参加奉仕し、火をもつて世界万民に洗礼を施すの神務である。明治三十一年の旧二月九日をもつて神業に参加し、大正七年二月九日をもつて前後満二十年間の霊的神業をほとんど完成した。物質万能主義、無神無霊魂説に、心酔累惑(るゐわく)せる体主霊従の現代も、やや覚醒の域に達し、神霊の実在を認識するもの、日に月に多きを加へきたれるは、すなはち神霊の偉大なる神機発動の結果にして、決して人智人力の致すところではないと思ふ。

No. 010003-04

 変性男子の肉宮は神政開祖(ヨハネ)の神業に入り、爾来二十有七年間神筆を揮ひ、もつて霊体両界の大改造を促進し、今や霊界に入りても、その神業を継続奉仕されつつあるのである。

No. 010003-05

 つぎに変性女子は三十年間の神業に奉仕して、もつて五六七(みろく)神政の成就を待ち、世界を善道にみちびき、もつて神明の徳沢に浴せしむるの神業である。神業奉仕以来、本年をもつて満二十三年、残る七ケ年こそ最も重大なる任務遂行の難関である。神諭(しんゆ)に曰(いは)く、

『三十年で身魂の立替(たてかへ)立直(たてなほ)しをいたすぞよ』

と。変性男子の三十年の神業成就は、大正十一年の正月元旦である。変性女子の三十年の神業成就は、大正十七年二月九日である。神諭に、

『身魂の立替立直し』

とあるを、よく考へてみると、主として水洗礼の霊体両系の改造が三十年であつて、これはヨハネの奉仕すべき神業であり、体霊洗礼の霊魂的改造が前後三十年を要するといふ神示である。しかしながら三十年と神示されたのは、大要を示されたもので、決して確定的なものではない。伸縮遅速は、たうてい免れないと思ふ。要するに、神界の御方針は一定不変であつても、天地経綸(けいりん)の司宰たるべき奉仕者の身魂の研不研の結果によつて変更されるのは止むをえないのである。神諭に、

『天地の元の先祖の神の心が真実(ほんと)に徹底了解(わかり)たものが少しありたら、樹替(たてかへ)樹直(たてなほ)しは立派にできあがるなれど、神界の誠が解(わか)りた人民が無いから、神はいつまでも世に出ることができぬから、早く改心して下されよ。一人が判(わか)りたら皆の者が判つてくるなれど、肝心のものに判らぬといふのも、これには何か一つの原因が無けねばならぬぞよ。自然に気のつくまで待つてをれば、神業(しぐみ)はだんだん遅れるばかりなり、心から発根(ほつこん)の改心でなければ、教へてもらうてから合点する身魂では、到底この御用は務まらぬぞよ。云々』

No. 010003-06

 実際の御経綸が分つてこなくては、空前絶後の大神業に完全に奉仕することはできるものではない。御神諭に身魂の樹替樹直しといふことがある。ミタマといへば、霊魂のみのことと思つてゐる人が沢山にあるらしい。身は身体、または物質界を指し、魂とは霊魂、心性、神界等を指したまうたのである。すべて宇宙は霊が本で、体が末となつてゐる。身の方面、物質的現界の改造を断行されるのは国祖(こくそ)大国常立神(おほくにとこたちのかみ)であり、精神界、神霊界の改造を断行したまふのは、豊国主神(とよくにぬしのかみ)の神権である。ゆゑに宇宙一切は霊界が主であり、現界が従であるから、これを称して霊主体従といふのである。

No. 010003-07

 霊主体従の身魂を霊(ひ)の本(もと)の身魂といひ、体主霊従の身魂を自己愛智(ちしき)の身魂といふ。霊主体従の身魂は、一切天地の律法に適(かな)ひたる行動を好んで遂行せむとし、常に天下公共のために心身をささげ、犠牲的行動をもつて本懐となし、至真、至善、至美、至直の大精神を発揮する、救世の神業に奉仕する神や人の身魂である。体主霊従の身魂は私利私慾にふけり、天地の神明を畏(おそ)れず、体慾を重んじ、衣食住にのみ心を煩はし、利によりて集まり、利によつて散じ、その行動は常に正鵠(せいかう)を欠(か)ぎ、利己主義を強調するのほか、一片の義務を弁(わきま)へず、慈悲を知らず、心はあたかも豺狼(さいらう)のごとき不善の神や、人をいふのである。

No. 010003-08

 天の大神は、最初に天足彦(あだるひこ)、胞場姫(えばひめ)のふたりを造りて、人体の祖となしたまひ、霊主体従の神木に体主霊従(ちしき)の果実(くだもの)を実らせ、

『この果実を喰ふべからず』

と厳命し、その性質のいかんを試みたまうた。ふたりは体慾にかられて、つひにその厳命を犯し、神の怒りにふれた。

 これより世界は体主霊従の妖気発生し、神人界に邪悪分子の萠芽を見るにいたつたのである。かくいふ時は、人あるひは言はむ。

『神は全智全能にして智徳円満なり。なんぞ体主霊従の萌芽を刈りとり、さらに霊主体従の人体の祖を改造せざりしや。体主霊従の祖を何ゆゑに放任し、もつて邪悪の世界をつくり、みづからその処置に困(くるし)むや。ここにいたりて吾人は神の存在と、神力とを疑はざるを得じ』

とは、実に巧妙にしてもつとも至極な議論である。

 されど神明には、毫末の依怙(えこ)なく、逆行的神業なし。一度手を降したる神業は昨日の今日たり難きがごとく、弓をはなれたる矢の中途に還(かへ)りきたらざるごとく、ふたたび之(これ)を更改するは、天地自然の経緯(けいゐ)に背反す。ゆゑに神代(かみよ)一代は、これを革正すること能(あた)はざるところに儼然たる神の権威をともなふのである。また一度出でたる神勅も、これを更改すべからず。神にしてしばしばその神勅を更改し給ふごときことありとせば、宇宙の秩序はここに全く紊乱(ぶんらん)し、つひには自由放漫の端を開くをもつてである。古(いにしへ)の諺(ことわざ)にも『武士の言葉に二言なし』といふ。いはんや、宇宙の大主宰たる、神明においてをやである。神諭(しんゆ)にも、

『時節には神も叶はぬぞよ。時節を待てば煎豆(いりまめ)にも花の咲く時節が参りて、世に落ちてをりた神も、世に出て働く時節が参りたぞよ。時節ほど恐いものの結構なものは無いぞよ、云々』

と示されたるがごとく、天地の神明も『時』の力のみは、いかんとも為したまふことはできないのである。

No. 010003-09

 天地剖判(ぼうはん)の始めより、五十六億七千万年の星霜を経て、いよいよ弥勒(みろく)出現の暁となり、弥勒の神下生(げしやう)して三界の大革正を成就し、松の世を顕現するため、ここに神柱(かむばしら)をたて、苦集滅道(くしふめつだう)を説き、道法礼節(だうはふれいせつ)を開示し、善を勧め、悪を懲らし、至仁至愛の教を布(し)き、至治泰平の天則を啓示し、天意のままの善政を天地に拡充したまふ時期に近づいてきたのである。

 吾人はかかる千万億才にわたりて、ためしもなき聖世の過渡時代に生れ出で、神業に奉仕することを得ば、何の幸(さいはひ)か之(これ)に如(し)かむやである。神示にいふ。

『神は万物普遍の聖霊にして、人は天地経綸の司宰なり』

と。アヽ吾人はこの時をおいて何れの代にか、天地の神業に奉仕することを得む。

 アヽ言霊(ことたま)の幸(さち)はふ国、言霊の天照(あまて)る国、言霊の生ける国、言霊の助ける国、神の造りし国、神徳の充(み)てる国に生を稟(う)けたる神国の人においてをや。神の恩の高く、深きに感謝し、もつて国祖の大御心に報(むく)い奉(たてまつ)らねばならぬ次第である。



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第1篇 幽界の探険

No. 010100


第1章 霊山修業 (1)

No. 010101


No. 010101-01

高熊山(たかくまやま)は上古は高御座山(たかみくらやま)と称し、のちに高座(たかくら)といひ、ついで高倉(たかくら)と書し、つひに転訛(てんくわ)して高熊山となつたのである。丹波(たんば)穴太(あなお)の山奥にある高台で、上古には開化天皇(かいくわてんのう)を祭りたる延喜式内(えんぎしきない)小幡神社(をばたじんじや)(□写真)

の在(あ)つた所である。武烈天皇(ぶれつてんのう)が継嗣を定めむとなしたまうたときに、穴太の皇子はこの山中に隠れたまひ、高倉山に一生を送らせたまうたといふ古老の伝説が遺(のこ)つてをる霊山である。天皇はどうしても皇子の行方(ゆくへ)がわからぬので、やむをえず皇族の裔(えい)を探しだして、継体天皇(けいたいてんのう)に御位を譲りたまうたといふことである。またこの高熊山には古来一つの謎が遺つてをる。

『朝日照る、夕日輝く、高倉の、三(み)ツ葉躑躅(ばつつじ)の其(そ)の下に、黄金(こがね)の鶏(にわとり)小判千両埋(い)けおいた』

 昔から時々名も知れぬ鳥が鳴いて、里人に告げたといふことである。自分は登山するごとに、三ツ葉躑躅の株は無いかと探してみたが、いつも見当らなかつた。大正九年の春、再度登山して休息してをると、自分の脚下(あしもと)に、その三ツ葉躑躅が生えてをるのを見出し、はじめてその歌の謎が解けたのである。

No. 010101-02

 『朝日照る』といふ意義は、天津日(あまつひ)の神(かみ)の御稜威(みいづ)が旭日昇天の勢(いきほひ)をもつて、八紘(はつかう)に輝きわたり、夕日輝くてふ、他の国々までも神徳を光被したまふ黄金時代の来ることであつて、この霊山に神威霊徳を秘めおかれたといふ神界の謎である。

 『三ツ葉躑躅』とは、三つの御霊(みたま)、瑞霊(ずいれい)の意である。ツツジの言霊(ことたま)は、万古不易の意である。『小判千両埋けおいた』大判は上(かみ)を意味し、小判は下(しも)にして、確古不動の権力を判(ばん)といふのである。すなわち小判は小幡(こばん)ともなり、神教顕現地(こばん)ともなる。穴太の産土神社(うぶすなじんじや)の鎮座ありしも、御祭神が開化天皇であつたのも深い神策のありませることと恐察し得られる。これを思へばアヽ明治卅一年如月(きさらぎ)の九日、富士浅間神社(ふじせんげんじんじや)の祭神、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)の天使、松岡芙蓉仙人(まつおかふようせんにん)に導かれて、当山に自分が一週間の修業を命ぜられたのも、決して偶然ではないとおもふ。

No. 010101-03

 神示のまにまに高熊山に出修したる自分の霊力発達の程度は、非常に迅速であつた。汽車よりも飛行機よりも電光石火よりも、すみやかに霊的研究は進歩したやうに思うた。たとへば幼稚園の生徒が大学を卒業して博士の地位に瞬間に進んだやうな進歩であつた。過去、現在、未来に透徹し、神界の秘奥を窺知(きち)し得るとともに、現界の出来事などは数百年数千年の後まで知悉(ちしつ)し得られたのである。しかしながら、すべて一切神秘に属し、今日これを詳細に発表することのできないのを遺憾とする。



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第2章 業の意義 (2)

No. 010102


No. 010102-01

 霊界の業といへば世間一般に深山幽谷に入つて、出世間的難行苦行をなすこととのみ考へてをる人が多いやうである。跣足(はだし)や裸になつて、山神(さんじん)の社(やしろ)に立籠(たてこも)り断食(だんじき)をなし、断湯(だんたう)を守り火食(くわしよく)をやめて、神仏に祈願を凝(こ)らし、妙な動作や異行(いぎやう)を敢(あへ)てすることをもつて、徹底的修行が完了したやうに思ひ誇る人々が多い。

 すべて業は行である以上は、顕幽一致、身魂一本の真理により、顕界において可急的大活動をなし、もつて天地の経綸(けいりん)に奉仕するのが第一の行である。たとへ一ケ月でも人界の事業を廃して山林に隠遁し怪行異業に熱中するは、すなはち一ケ月間の社会の損害であつて、いはゆる神界の怠業者もしくは罷業者である。すべて神界の業といふものは現界において生成化育、進取発展の事業につくすをもつて第一の要件とせなくてはならぬ。

No. 010102-02

 大本(おほもと)の一部の人士のごとく、何事も『惟神(かむながら)かむながら』といつて難(かた)きを避け、易(やす)きに就かむとするは神界より御覧になれば、実に不都合不届至極の人間といはれてもしかたはない。少しも責任観念といふものがないのみか、尽すべき道をつくさず、かへつて神業の妨害ばかりしながら、いつも神界にたいし奉(たてまつ)り、不足ばかりいつてゐる。これがいはゆる黄泉醜人(よもつしこびと)である。神諭(しんゆ)に、

『世界の落武者が出て来るから用心なされよ』

といふことが示されあるを考へてみるがよい。神界の業といふものは、そんな軽々しき容易なものではない。しかるに自分から山林に分入りて修行することを非難しておきながら、かんじんの御本尊は一週間も高熊山(たかくまやま)で業をしたのは、自家撞着(どうちやく)もはなはだしいではないか……との反問も出るであらうが、しかし自分はそれまでに二十七年間の俗界での悲痛な修行を遂行した。その卒業式ともいふべきものであつて、生存中ただ一回のみ空前絶後の実修であつたのである。

No. 010102-03

 世には……釈迦(しやか)でさへ檀特山(だんとくざん)において数ケ年間の難行苦行をやつて、仏教を開いたではないか、それに僅(わづ)か一週間ぐらゐの業で、三世を達観することを得るやうになつたとは、あまりの大言ではあるまいか……と、疑問を抱(いだ)く人々もあるであらうが、釈迦は印度国(いんどこく)浄飯王(じやうぼんわう)の太子と生れて、社会の荒き風波に遇(あ)うたことのない坊(ぼ)ンさんであつたから、数年間の種々の苦難を味はつたのである。自分はこれに反し幼少より極貧の家庭に生れて、社会のあらゆる辛酸を嘗(な)めつくしてきたために、高熊山に登るまでに顕界の修行を了(を)へ、また幾分かは幽界の消息にも通じてをつたからである。



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第3章 現界の苦行 (3)

No. 010103


No. 010103-01

 高熊山の修行は一時間神界の修行を命(さ)せられると、現界は二時間の比例で修行をさせられた。しかし二時間の現界の修行より、一時間の神界の修行の方が数十倍も苦(くるし)かつた。現界の修行といつては寒天(さむぞら)に襦袢(じゆばん)一枚となつて、前後一週間水一杯飲まず、一食もせず、岩の上に静坐して無言でをつたことである。その間には降雨もあり、寒風も吹ききたり、夜中になつても狐狸(こり)の声も聞かず、虫の音(ね)も無く、ときどき山も崩れむばかりの怪音や、なんとも言へぬ厭(いや)らしい身の毛の震慄(しんりつ)する怪声が耳朶(じだ)を打つ。寂(さび)しいとも、恐ろしいとも、なんとも形容のできぬ光景であつた。……たとへ狐でも、狸でも、虎狼でもかまはぬ、生ある動物がでてきて生きた声を聞かして欲しい。その姿なりと、生物(いきもの)であつたら、一眼見たいものだと、憧憬(あこが)れるやうになつた。アヽ生物ぐらゐ人の力になるものはない……と思つてゐると、かたはらの小篠(をざさ)の中からガサガサと足音をさして、黒い影の動物が、自分の静坐する、一尺ほど前までやつてきた。夜眼には、確(たしか)にそれと分りかねるが、非常に大きな熊のやうであつた。

 この山の主(ぬし)は巨大な熊であるといふことを、常に古老から聞かされてをつた。そして夜中に人を見つけたが最後、その巨熊(おほぐま)が八裂きにして、松の枝に懸(か)けてゆくといふことを聞いてゐた。自分は今夜こそこの巨熊に引裂かれて死ぬのかも知れないと、その瞬間に心臓の血を躍(をど)らした。

No. 010103-02

 ままよ何事も惟神(かむながら)に一任するに如(し)かず……と、心を臍下丹田(さいかたんでん)に落着けた。サアさうなると恐ろしいと思つた巨熊の姿が大変な力となり、その呻声(うなりごゑ)が恋しく懐(なつか)しくなつた。世界一切の生物に、仁慈の神の生魂(いくみたま)が宿りたまふといふことが、適切に感じられたのである。

 かかる猛獣でさへも寂しいときには力になるものを、況(いは)んや万物の霊長たる人においてをやだ。アヽ世界の人々を悪(にく)んだり、怒らしたり、侮(あなど)つたり、苦しめたり、人を何とも思はず、日々(にちにち)を暮してきた自分は、何とした勿体(もつたい)ない罰(ばち)当りであつたのか、たとへ仇敵悪人といへども、皆神様の霊が宿つてゐる。人は神である。否(いな)人ばかりではない、一切の動物も植物も、皆われわれのためには、必要な力であり、頼みの杖(つゑ)であり、神の断片である。

 人はどうしても一人で世に立つことはできぬものだ。四恩といふことを忘れては人の道が立たぬ。人は持ちつ持たれつ相互に助け合うてゆくべきものである。人と名がつけば、たとへ其(そ)の心は鬼でも蛇でもかまはぬ。大切にしなくてはならぬ。それに人はすこしの感情や、利害の打算上から、たがひに憎み嫉(ねた)み争ふとは、何たる矛盾であらう、不真面目(ふまじめ)であらう。人間は神様である。人間をおいて力になつてくれる神様がどこにあるであらうか。

 神界には神様が第一の力であり、便りであるが、現界では人間こそ、吾等を助くる誠の生きたる尊い神様であると、かう心の底から考へてくると、人間が尊く有難くなつて、粗末に取扱ふことは、天地の神明にたいし奉(たてまつ)り、恐れありといふことを強く悟了(ごれう)したのである。

 これが自分の万有に対する、慈悲心の発芽であつて、有難き大神業に奉仕するの基礎的実習であつた。アヽ惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)。



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第4章 現実的苦行 (4)

No. 010104


No. 010104-01

 つぎに自分の第一に有難く感じたのは水である。一週間といふものは、水一滴口に入れることもできず、咽喉(のど)は時々刻々に渇(かわ)きだし、何とも言へぬ苦痛であつた。たとへ泥水でもいい、水気のあるものが欲しい。木の葉でも噛(か)んでみたら、少々くらゐ水は含んでをるであらうが、それも一週間は神界から飲食一切を禁止されてをるので、手近にある木の葉一枚さへも、口に入れるといふわけにはゆかない。その上時々刻々に空腹を感じ、気力は次第に衰へてくる。されど神の御許しがないので、お土(つち)の一片も口にすることはできぬ。膝は崎嶇(きく)たる巌上(がんじやう)に静坐せることとて、是(これ)くらゐ痛くて苦しいことはない。寒風は肌身を切るやうであつた。

 自分がふと空(そら)をあふぐ途端に、松の露がポトポトと雨後の風に揺られて、自分の唇辺(くちびる)に落ちかかつた。何心なくこれを嘗(な)めた。ただ一滴の松葉の露のその味は、甘露とも何ともたとへられぬ美味(おいし)さであつた。

 これを考へてみても、結構な水を火にかけ湯に沸(わか)して、温(ぬる)いの熱いのと、小言を言つてゐるくらゐ勿体(もつたい)ないことはない。

No. 010104-02

 草木の葉一枚でも、神様の御許しが無ければ、戴くことはできず、衣服は何ほど持つてをつても、神様の御許しなき以上は着ることもできず、あたかも餓鬼道(がきだう)の修業であつた。その御蔭によつて水の恩を知り、衣食住の大恩を覚り、贅沢なぞは夢にも思はず、どんな苦難に逢(あ)ふも驚かず、悲しまず、いかなる反対や、熱罵(ねつば)嘲笑も、ただ勿体ない、有難い有難いで、平気で、社会に泰然自若、感謝のみの生活を楽しむことができるやうになつたのも、全く修行の御利益(おかげ)である。

No. 010104-03

 それについて今一つ衣食住よりも、人間にとつて尊く、有難いものは空気である。飲食物は十日や廿日(はつか)くらゐ廃したところで、死ぬやうな事はめつたにないが、空気はただの二三分間でも呼吸せなかつたならば、ただちに死んでしまふより途(みち)はない。自分がこの修行中にも空気を呼吸することだけは許されたのは、神様の無限の仁慈であると思つた。

No. 010104-04

 人は衣食住の大恩を知ると同時に、空気の御恩を感謝せなくてはならない。しかし以上述べたるところは、自分が高熊山(たかくまやま)における修行の、現界的すなはち肉体上における神示の修行である。霊界における神示の修行は、到底前述のごとき軽い容易なものではなかつた。幾十倍とも幾百倍ともしれぬ大苦難的修練であつた。



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第5章 霊界の修業 (5)

No. 010105


No. 010105-01

 霊界には天界と、地獄界と、中有界(ちううかい)との三大境域があつて、天界は正しき神々や正しき人々の霊魂の安住する国であり、地獄界は邪神の集まる国であり、罪悪者の堕(お)ちてゆく国である。そして天界は至善、至美、至明、至楽の神境で、天の神界、地の神界に別れてをり、天の神界にも地の神界にも、各自三段の区劃が定まり、上中下の三段の御魂(みたま)が、それぞれに鎮まる楽園である。地獄界も根(ね)の国(くに)、底(そこ)の国(くに)にわかれ、各自三段に区劃され、罪の軽重、大小によりて、それぞれに堕ちてゆく至悪、至醜、至寒、至苦の刑域である。今自分はここに霊界の御許しを得て、天界、地獄界などの大要を表示して見やう。


霊界

天 界……天の神界三段・地の神界三段……また〈神界〉といふ

中有界……浄罪界……また〈精霊界〉といふ

地獄界……根の国三段・底の国三段……また〈幽界〉といふ


No. 010105-02

 霊界の大要は大略前記のとほりであるが、自分は芙蓉仙人(ふようせんにん)の先導にて、霊界探険の途(と)に上ることとなつた。勿論身は高熊山(たかくまやま)に端坐して、ただ霊魂のみが往(い)つたのである。

 行くこと数百千里、空中飛行船以上の大速力で、足も地につかず、ほとんど十分ばかり進行をつづけたと思ふと、たちまち芙蓉仙人は立留(たちとど)まつて自分を顧(かへり)み、

『いよいよ是(これ)からが霊界の関門である』

といつて、大変な大きな河の辺(ほとり)に立つた。一寸(ちよつと)見たところでは非常に深いやうであるが、渡つて見ると余り深くはない。不思議にも自分の着てゐた紺衣(こんい)は、水に洗はれたのか忽(たちま)ち純白に変じた。別に衣服の一端をも水に浸(ひた)したとも思はぬに、肩先まで全部が清白(せいはく)になつた。芙蓉仙人とともに、名も知らぬこの大河(おほかは)を対岸へ渡りきり、水瀬(みなせ)を眺めると不思議にも水の流れと思つたのは誤りか、大蛇が幾百万とも限りなきほど集まつて、各自(てんで)に頭をもたげ、火焔(くわえん)の舌を吐いてをるのには驚かされた。それから次々に渉(わた)りきたる数多(あまた)の旅人らしきものが、いづれも皆(みな)大河と思つたと見えて、自分の渉つたやうに、各自に裾(すそ)を捲(ま)きあげてをる。そして不思議なことには各自(かくじ)の衣服が種々の色に変化することであつた。あるひは黒に、あるひは黄色に茶褐色に、その他雑多の色に忽然として変つてくるのを、どこともなく、五六人の恐い顔をした男が一々姓名を呼びとめて、一人々々に切符のやうなものをその衣服につけてやる。そして速く立てよと促(うなが)す。旅人は各自(てんで)に前方に向つて歩を進め、一里ばかりも進んだと思ふ所に、一つの役所のやうなものが建つてあつた。その中から四五の番卒が現はれて、その切符を剥(は)ぎとり、衣服の変色の模様によつて、上衣(うはぎ)を一枚脱(は)ぎとるもあり、或(ある)ひは二枚にしられるもあり、丸裸にしられるのもある。また一枚も脱ぎとらずに、他の旅人から取つた衣物(きもの)を、或(ある)ひは一枚あるいは二枚三枚、中には七八枚も被(き)せられて苦しさうにして出てゆくものもある。一人々々に番卒が附き添ひ、各自(かくじ)規定の場所へ送られて行くのを見た。



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第6章 八衢(やちまた)の光景 (6)

No. 010106


No. 010106-01

 ここは黄泉(よみ)の八衢(やちまた)といふ所で米の字形の辻である。その真中に一つの霊界の政庁があつて、牛頭馬頭(ごづめづ)の恐い番卒が、猛獣の皮衣を身につけたのもあり、丸裸に猛獣の皮の褌(まはし)を締めこみ、突棒(つくぼう)や、手槍や、鋸や、斧、鉄棒に、長い火箸などを携へた奴が沢山に出てくる。自分は芙蓉(ふよう)仙人の案内で、ズツト奥へ通ると、その中の小頭(こがしら)ともいふやうな鬼面の男が、長剣を杖に突きながら出迎へた。そして芙蓉仙人に向つて、

『御遠方の所はるばる御苦労でした。今日は何の御用にて御来幽(ごらいいう)になりましたか』

と恐い顔に似合はぬ慇懃な挨拶をしてゐる。自分は意外の感にうたれて、両者の応答を聞くのみであつた。芙蓉仙人は一礼を報(むく)いながら、

『大神(おほかみ)の命により大切なる修業者を案内申して参りました。すなはちこの精霊(もの)でありますが、今回は現、神、幽の三界的使命を帯び、第一に幽界の視察を兼ねて修業にきたのです。この精霊(もの)は丹州(たんしう)高倉山(たかくらやま)に古来秘めおかれました、三つ葉躑躅(ばつつじ)の霊魂です。何とぞ大王にこの旨御伝達をねがひます』

と、言葉に力をこめての依頼であつた。小頭は仙人に軽く一礼して急ぎ奥に行つた。待つことやや少時(しばし)、奥には何事の起りしかと思はるるばかりの物音が聞ゆる。芙蓉仙人に、

『あの物音は何んでせうか』

と尋ねてみた。仙人はただちに、

『修業者の来幽につき準備せむがためである』

と答へられた。自分は怪しみて、

『修業者とは誰ですか』

と問ふ。仙人は答へていふ、

『汝のことだ。肉体ある精霊(もの)、幽界に来るときは、いつも庁内の模様を一時変更さるる定めである。今日は別けて、神界より前もつて沙汰なかりし故に、幽庁では、狼狽の体と見える』

と仰せられた。しばらくありて静かに隔(へだ)ての戸を開いて、前の小頭は先導に立ち、数名の守卒らしきものと共に出できたり、軽く二人に目礼し前後に附添うて、奥へ奥へと導きゆく。上段の間には白髪異様の老神が、机を前におき端座したまふ。何となく威厳があり且つ優しみがある。そしてきはめて美しい面貌であつた。

No. 010106-02

 芙蓉仙人は少しく腰を屈めながら、その右前側に坐して何事か奏上する様子である。判神(さばきがみ)は綺羅星のごとくに中段の間に列(なら)んでゐた。老神は自分を見て美はしき慈光をたたへ笑顔を作りながら、

『修業者殿、遠方大儀である。はやく是に』

と老神の左前側(さぜんそく)に自分を着座(つか)しめられた。老神と芙蓉仙人と自分とは、三角形の陣をとつた。自分は座につき老神に向つて低頭平身敬意を表した。老神もまた同じく敬意を表して頓首したまひ、

『吾は根(ね)の国(くに)底(そこ)の国(くに)の監督を天神より命ぜられ、三千有余年当庁に主たり、大王たり。今や天運循環、いよいよわが任務は一年余にして終る。余は汝とともに霊界、現界において相提携して、以て宇宙の大神業に参加せむ。しかしながら吾はすでに永年幽界を主宰したれば今さら幽界を探究するの要なし。汝は今はじめての来幽なれば、現幽両界のため、実地について研究さるるの要あり。しからざれば今後において、三界を救ふべき大慈の神人たることを得ざるべし。是非々々根の国、底の国を探究の上帰顕あれよ。汝の産土(うぶすな)の神を招(まね)き奉(まつ)らむ』

とて、天(あま)の石笛(いはふえ)の音(ね)もさはやかに吹きたてたまへば、忽然として白衣の神姿、雲に乗りて降りたまひ、三者の前に現はれ、叮重なる態度をもつて、何事か小声に大王に詔らせたまひ、つぎに幽庁列座の神にむかひ厚く礼を述べ、つぎに芙蓉仙人に対して、氏子(うぢこ)を御世話であつたと感謝され、最後に自分にむかつて一巻の書を授けたまひ、頭上より神息を吹きこみたまふや、自分の腹部ことに臍下丹田(さいかたんでん)は、にはかに暖か味を感じ、身魂(みたま)の全部に無限無量の力を与へられたやうに覚えた。



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第7章 幽庁の審判 (7)

No. 010107


No. 010107-01

 ここに大王の聴許(ちやうきよ)をえて、自分は産土神(うぶすなのかみ)、芙蓉(ふよう)仙人とともに審判廷の傍聴をなすことを得た。仰ぎ見るばかりの高座には大王出御あり、二三尺下の座には、形相すさまじき冥官らが列座してゐる。最下の審判廷には数多の者が土下座になつて畏(かしこ)まつてゐる。見わたせば自分につづいて大蛇(をろち)の川をわたつてきた旅人も、早すでに多数の者の中に混じりこんで審判の言ひ渡しを待つてゐる。日本人ばかりかと思へば、支那人、朝鮮人、西洋人なぞも沢山にゐるのを見た。自分はある川柳に、


  『唐人を入り込みにせぬ地獄の絵』


といふのがある、それを思ひだして、この光景を怪しみ、仙人に耳語(じご)してその故を尋ねた。何と思つたか、仙人は頭を左右に振つたきり、一言も答へてくれぬ。自分も強て尋ねることを控へた。

No. 010107-02

 ふと大王の容貌を見ると、アツと驚いて倒れむばかりになつた。そこを産土(うぶすな)の神と仙人とが左右から支へて下さつた。もしこのときに二柱の御介抱がなかつたら、自分は気絶したかも知れぬ。今まで温和優美にして犯すべからざる威厳を具(そな)へ、美はしき無限の笑をたたへたまひし大王の形相は、たちまち真紅と変じ、眼は非常に巨大に、口は耳のあたりまで引裂け、口内より火焔の舌を吐きたまふ。冥官また同じく形相すさまじく、面をあげて見る能はず、審判廷はにはかに物凄さを増してきた。

No. 010107-03

 大王は中段に坐せる冥官の一人を手招きしたまへば、冥官かしこまりて御前に出づ。大王は冥官に一巻の書帳を授けたまへば、冥官うやうやしく押いただき元の座に帰りて、一々罪人の姓名を呼びて判決文を朗読するのである。番卒は順次に呼ばれたる罪人を引きたてて幽廷を退く。現界の裁判のごとく予審だの、控訴だの、大審院だのといふやうな設備もなければ、弁護人もなく、単に判決の言ひ渡しのみで、きはめて簡単である。自分は仙人を顧みて、

『何ゆゑに冥界の審判は斯(か)くのごとく簡単なりや』

と尋ねた。仙人は答へて、

『人間界の裁判は常に誤判がある。人間は形の見へぬものには一切駄目である。ゆゑに幾度も慎重に審査せなくてはならぬが、冥界の審判は三世洞察自在の神の審判なれば、何ほど簡単であつても毫末も過誤はない。また罪の軽重大小は、大蛇川(をろちがは)を渡るとき着衣の変色によりて明白に判ずるをもつて、ふたたび審判の必要は絶無なり』

と教へられた。一順言ひ渡しがすむと、大王はしづかに座を立ちて、元の御居間に帰られた。自分もまた再び大王の御前に招ぜられ、恐る恐る顔を上げると、コハそもいかに、今までの恐ろしき形相は跡形もなく変らせたまひて、また元の温和にして慈愛に富める、美はしき御面貌に返つてをられた。神諭(しんゆ)に、

『因縁ありて、昔から鬼神(おにがみ)と言はれた、艮(うしとら)の金神(こんじん)のそのままの御魂(みたま)であるから、改心のできた、誠の人民が前へ参りたら、結構な、いふに言はれぬ、優しき神であれども、ちよつとでも、心に身慾(みよく)がありたり、慢神(まんしん)いたしたり、思惑がありたり、神に敵対心のある人民が、傍(そば)へ出て参(まゐ)りたら、すぐに相好は変りて、鬼か、大蛇(をろち)のやうになる恐い身魂(みたま)であるぞよ』

と示されてあるのを初めて拝したときは、どうしても、今度の冥界にきたりて大王に対面したときの光景を、思ひ出さずにはをられなかつた。また教祖をはじめて拝顔したときに、その優美にして温和、かつ慈愛に富める御面貌を見て、大王の御顔を思ひ出さずにはをられなかつた。

No. 010107-04

 大王は座より立つて自分の手を堅く握りながら、両眼に涙をたたへて、

『三葉殿(みつばどの)御苦労なれど、これから冥界の修業の実行をはじめられよ。顕幽両界のメシヤたるものは、メシヤの実学を習つておかねばならぬ。湯なりと進ぜたいは山々なれど、湯も水も修業中には禁制である。さて一時も早く実習にかかられよ』

と御声(みこゑ)さへも湿らせたまふた。ここで産土(うぶすな)の神は大王に、

『何分よろしく御頼み申し上げます』

と仰せられたまま、後をもむかず再び高き雲に乗りて、いづれへか帰つてゆかれた。

 仙人もまた大王に黙礼して、自分には何も言はず早々に退座せられた。跡に取りのこされた自分は少しく狼狽の体であつた。大王の御面相は、俄然一変してその眼は鏡のごとく光り輝き、口は耳まで裂け、ふたたび面を向けることができぬほどの恐ろしさ。そこへ先ほどの冥官が番卒を引連れ来たり、たちまち自分の白衣を脱がせ、灰色の衣服に着替させ、第一の門から突き出してしまつた。

No. 010107-05

 突き出されて四辺(あたり)を見れば、一筋の汚い細い道路に枯草が塞がり、その枯草が皆氷の針のやうになつてゐる。後へも帰れず、進むこともできず、横へゆかうと思へば、深い広い溝が掘つてあり、その溝の中には、恐ろしい厭(いや)らしい虫が充満してゐる。自分は進みかね、思案にくれてゐると、空には真黒な怪しい雲が現はれ、雲の間から恐ろしい鬼のやうな物が睨(にら)みつめてゐる。後からは恐い顔した柿色の法被を着た冥卒が、穂先の十字形をなした鋭利な槍をもつて突き刺さうとする。止むをえず逃げるやうにして進みゆく。

No. 010107-06

 四五丁ばかり往つた処に、橋のない深い広い川がある。何心なく覗(のぞ)いてみると、何人とも見分けはつかぬが、汚い血とも膿(うみ)ともわからぬ水に落ちて、身体(からだ)中を蛭(ひる)が集(たか)つて空身(あきみ)の無い所まで血を吸うてゐる。旅人は苦さうな悲しさうな声でヒシつてゐる。自分もこの溝を越えねばならぬが、翼なき身は如何(いか)にして此(こ)の広い深い溝が飛び越えられやうか。後からは赤い顔した番卒が、鬼の相好に化(な)つて鋭利の槍をもつて突刺さうとして追ひかけてくる。進退これきはまつて、泣くにも泣けず煩悶してをつた。にはかに思ひ出したのは、先ほど産土(うぶすな)の神から授かつた一巻の書である。懐中より取出し押しいただき披(ひら)いて見ると、畏(かしこ)くも『天照大神(あまてらすおほかみ)、惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)』と筆蹟(ふであと)、墨色ともに、美はしく鮮かに認めてある。自分は思はず知らず『天照大神、惟神霊幸倍坐世』と唱へたとたんに、身は溝の向ふへ渡つてをつた。

No. 010107-07

 番卒はスゴスゴと元の途(みち)へ帰つてゆく。まづ一安心して歩を進めると、にはかに寒気酷烈になり、手足が凍(こご)えてどうすることも出来ぬ。かかるところへ現はれたのは黄金色(こがねいろ)の光であつた。ハツと思つて自分が驚いて見てゐるまに、光の玉が脚下二三尺の所に、忽然として降つてきた。



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第8章 女神(めがみ)の出現 (8)

No. 010108


No. 010108-01

 不思議に堪へずして、自分は金色燦爛(きんしよくさんらん)たる珍玉の明光を拝して、何となく力強く感じられ、眺めてゐた。次第々々に玉は大きくなるとともに、水晶のごとくに澄みきり、たちまち美はしき女神の御姿と変化した。全身金色にして仏祖のいはゆる、紫摩黄金の肌で、その上に玲瓏(れいろう)透明にましまし、白の衣裳と、下は緋(ひ)の袴(はかま)を穿(うが)ちたまふ、愛情あふるるばかりの女神であつた。女神は、自分の手をとり笑(ゑみ)を含んで、

『われは大便所(かはや)の神なり。汝(なんぢ)に之(これ)を捧(ささ)げむ』

と言下に御懐中より、八寸ばかりの比礼(ひれ)を自分の左手(ゆんで)に握らせたまひ、再会を約して、また元のごとく金色の玉となりて中空に舞ひ上り、電光石火のごとく、九重の雲深く天上に帰らせたまうた。

 その当時は、いかなる神様なるや、また自分にたいして何ゆゑに、かくのごとき珍宝を、かかる寂寥(せきれう)の境域に降りて、授けたまひしやが疑問であつた。しかし参綾(さんれう)後はじめて氷解ができた。教祖の御話に、

『金勝要神(きんかつかねのかみ)は、全身黄金色であつて、大便所に永年のあひだ落され、苦労艱難の修行を積んだ大地の金神様(こんじんさま)である。その修業が積んで、今度は世に出て、結構な御用を遊ばすやうになりたのであるから、人間は大便所の掃除(さうぢ)から、歓(よろこ)んで致すやうな精神にならぬと、誠の神の御用はできぬ。それに今の人民さんは、高い処へ上つて、高い役をしたがるが、神の御用をいたすものは、汚穢所(きたないところ)を、美しくするのを楽んで致すものでないと、三千世界の大洗濯、大掃除の御用は、到底勤め上りませぬ』

との御言葉を承(うけたま)はり、かつ神諭の何処(いづこ)にも記されたるを拝して、奇異の感に打たれ、神界の深遠微妙なる御経綸(ごけいりん)に驚いた。

No. 010108-02

 女神に別れ、ただ一人、太陽も月も星も見えぬ山野を深く進みゆく。


     山深く分け入る吾は日も月も/星さへも見ぬ狼の声


 冷たい途(みち)の傍(かたはら)に沼とも、池とも知れぬ汚い水溜(みづたま)りがあつて、その水に美しい三十才余りの青年が陥り、諸々の虫に集られ、顔はそのままであるが首から下は全部蚯蚓(みみず)になつてしまひ、見るまに顔までがすつかり数万の蛆虫(うじむし)になつてしまつた。私は思はず、「天照大神(あまてらすおほかみ)、産土神(うぶすなのかみ)、惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)」と二回ばかり繰返した。不思議にも元の美しい青年になつて、その水溜りから這(は)ひ上り、嬉しさうな顔して礼を述べた。その青年の語るところによると、

『竜女(りゆうぢよ)を犯した祖先の罪によつて、自分もまた悪い後継者となつて竜女を犯しました。その罪によつて、かういふ苦しみを受くることになつたのでありますが、今、あなたの神文(しんもん)を聞いて忽(たちま)ちこの通りに助かりました』

といつて感謝する。

No. 010108-03

 それから自分は、天照大神の御神号を一心不乱に唱へつつ前進した。月もなく、烏もなく、霜は天地に充ち、寒さ酷しく膚(はだへ)を断るごとく、手も足も棒のやうになり息も凍(こご)らむとする時、またもや「天照大御神、惟神霊幸倍坐世」と口唱し奉(まつ)つた。不思議にも言霊の神力(しんりき)著(いちじる)しく、たちまち全身に暖を覚え、手も足も湯に入りしごとくなつた。

No. 010108-04

 アヽ地獄で神とは、このことであると、感謝の涙は滝と流るるばかりであつた。四五十丁も辿(たど)り行くと、そこに一つの断崕(だんがい)に衝(つ)き当る。止むをえず、引き返さむとすれば鋭利なる槍の尖が、近く五六寸の処にきてゐる。この上は神に任(まか)し奉(まつ)らむと決意して、氷に足をすべらせつつ右手(めて)を見れば、深き谷川があつて激潭(げきたん)飛沫、流声物すごき中に、名も知れぬ見た事もなき恐ろしき動物が、川へ落ちたる旅人を口にくはへて、谷川の流れに浮いたり、沈んだり、旅人は「助けて助けて」と、一点張に叫んでゐる。自分は、ふたたび神号を奉唱すると、旅人をくはへてゐた怪物の姿は沫と消えてしまつた。

No. 010108-05

 助かつた旅人の名は舟木(ふなき)といふ。彼は喜んで自分の後に跟(つ)いてきた。一人の道連れを得て、幾分か心は丈夫になつてきた。危き断崕を辛(から)うじて五六十丁ばかり進むと、途(みち)が無くなつた。薄暗い途を行く二人は、ここに停立(ていりつ)して思案にくれてゐた。さうすると何処(どこ)ともなく大声で、

『ソレ彼ら二人を、免(の)がすな』

と呼ぶ。にはかに騒々しき物音しきりに聞え来たり、口の巨大なる怪物が幾百ともなく、二人の方へ向つて襲ひくる様子である。二人は進退これ谷(きは)まり、いかがはせむと狼狽の体であつた。何ほど神号を唱へても、少しも退却せずますます迫つてくる。今まで怪物と思つたのが、不思議にもその面部だけは人間になつてしまつた。その中で巨魁(きよくわい)らしき魔物は、たちまち長剣を揮(ふる)つて両人に迫りきたり、今や斬り殺されむとする刹那に、白衣金膚(きんぷ)の女神(めがみ)が、ふたたびその場に光りとともに現はれた。そして、「比礼(ひれ)を振らせたまへ」と言つて姿は忽(たちま)ち消えてしまつた。懐中(ふところ)より神器の比礼を出すや否(いな)や、上下左右に祓(はら)つた。怪物はおひおひと遠く退却する。ヤレ嬉しやと思ふまもなく、忽然(こつぜん)として大蛇(をろち)が現はれ、巨口を開いて両人を呑(の)んでしまつた。両人は大蛇の腹の中を探り探り進んで行く。今まで寒さに困つてゐた肉体は、どこともなく、暖い湯に浴したやうな心持であつた。轟然(ぐわうぜん)たる音響とともに幾百千丈ともわからぬ、奈落の底へ落ちゆくのであつた。

No. 010108-06

 ふと気がつけば幾千丈とも知れぬ、高い滝の下に両人は身を横たへてゐた。自分の周囲は氷の柱が、幾万本とも知れぬほど立つてをる。両人は、この高い瀑布(ばくふ)から、地底へ急転直落したことを覚つた。一寸(いつすん)でも、一分(いちぶ)でも身動きすれば、冷きつた氷の剣で身を破る。起きるにも起きられず、同伴の舟木を見ると、魚を串に刺したやうに、長い鋭い氷剣に胴のあたりを貫かれ、非常に苦しんでゐる。自分は満身の力をこめて、「アマテラスオホミカミサマ」と、一言づつ切れ切れに、やうやくにして唱へ奉つた。神徳たちまち現はれ、自分も舟木も身体自由になつてきた。今までの瀑布は、どこともなく、消え失せて、ただ茫々たる雪の原野と化してゐた。

No. 010108-07

 雪の中に、幾百人とも分らぬほど人間の手や足や頭の一部が出てゐる。自分の頭の上から、にはかに山岳も崩るるばかりの響がして、雪塊(ゆきだま)が落下し来り、自分の全身を埋(うづ)めてしまふ。にはかに比礼(ひれ)を振らうとしたが、容易に手がいふことをきかぬ。丁度鉄でこしらへた手のやうになつた。一生懸命に「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)」を漸く一言づつ唱へた。幸に自分の身体は自由が利くやうになつた。四辺(あたり)を見れば、舟木(ふなき)の全身が、また雪に埋められ、頭髪だけが現はれてゐる。その上を比礼をもつて二三回左右左と振りまはすと、舟木は苦しさうな顔をして、雪中から全身をあらはした。天の一方より、またまた金色の光現はれて二人の身辺を照した。原野の雪は、見渡すかぎり、一度にパツと消えて、短い雑草の原と変つた。

No. 010108-08

 あまたの人々は満面笑を含んで自分の前にひれ伏し、救主(すくひぬし)の出現と一斉に感謝の意を表し、今後は救主とともに、三千世界の神業に参加奉仕せむことを希望する人々も沢山あつた。その中には実業家もあれば、教育家もあり、医者や、学者も、沢山に混つてをつた。

No. 010108-09

 以上は、水獄(すゐごく)の中にて第一番の処であつた。第二段、第三段となると、こんな軽々しき苦痛ではなかつたのである。自分は、今この時のことを思ひだすと、慄然(りつぜん)として肌(はだへ)に粟(あは)を生ずる次第である。



第9章 雑草の原野 (9)

No. 010109


No. 010109-01

 雑草の原野の状況は、実に殺風景であつた。自分は、いつしか又一人となつてゐた。頭の上からザラザラと怪しい音がする。何心なく仰向(あふむ)くとたんに両眼に焼砂のやうなものが飛び込み、眼を開くこともできず、第一に眼の球が焼けるやうな痛さを感ずるとともに四面暗黒になつたと思ふと、何物とも知らず自分の左右の手を抜けんばかりに曳(ひ)くものがある。また両脚を左右に引き裂かうとする。なんとも形容のできぬ苦しさである。頭上からは冷たい冷たい氷の刃(やいば)で梨割(なしわ)りにされる。百雷の一時に轟(とどろ)くやうな音がして、地上は波のやうに上下左右に激動する。怪しい、いやらしい、悲しい声が聞える。自分は一生懸命になつて、例の「アマテラスオホミカミ」を、切れぎれに漸つと口唱するとたんに、天地開明の心地して目の痛もなほり、不思議や自分は女神(めがみ)の姿に化してゐた。

No. 010109-02

 舟木ははるかの遠方から、比礼(ひれ)を振りつつ此方(こつち)へむかつて帰つてくる。その姿を見たときの嬉しさ、二人は再会の歓喜に充ち、暫時休息してゐると、後より「松(まつ)」といふ悪鬼が現はれ、光すさまじき氷の刃で切つてかかる。舟木はただちに比礼を振る、自分は神名を唱へる。悪鬼は二三の同類とともに足早く南方さして逃げてゆく。

No. 010109-03

 どこからともなく「北へ北へ」と呼ばはる声に、機械のごとく自分の身体が自然に進んで行く。そこへ「坤(ひつじさる)」といふ字のついた、王冠をいただいた女神(めがみ)が、小松林(こまつばやし)といふ白髪の老人とともに現はれて、一本の太い長い筆を自分に渡して姿を隠された。見るまに不思議やその筆の筒(つつ)から硯(すずり)が出る、墨が出る、半紙が山ほど出てくる。そして姿は少しも見えぬが、頭の上から「筆を持て」といふ声がする。二三人の童子が現はれて硯に水を注(つ)ぎ墨を摺つたまま、これも姿をかくした。

No. 010109-04

 自分は立派な女神の姿に変化したままで、一生懸命に半紙にむかつて機械的に筆をはしらす。ずゐぶん長い時間であつたが、冊数はたしかに五百六十七であつたやうに思ふ。そこへにはかに何物かの足音が聞えたと思ふまもなく、前の「中」という鬼が現はれ、槍の先に数十冊づつ突き刺し、をりからの暴風目がけ中空に散乱させてしまうた。さうすると、又もや数十冊分の同じ容積の半紙が、自分の前にどこからともなく湧(わ)いてくる。また是も筆をはしらさねばならぬやうな気がするので、寒風の吹きすさぶ野原の枯草の上に坐つて、凹凸(あふとつ)のはなはだしい石の机に紙を伸べ、左手(ゆんで)に押さへては、セツセと何事かを書いてゐた。そこへ今度は眼球(めだま)の四ツある怪物を先導に、平(ひら)だの、中(なか)だの、木(き)だの、後(ご)だの、田(た)だの、竹(たけ)だの、村(むら)だの、与(よ)だの、藤(とう)だの、井(ゐ)だの印(しるし)の入つた法被(はつぴ)を着た鬼がやつてきて、残らず引さらへ、二三丁先の草の中へ積み重ねて、これに火をかけて焼く。

No. 010109-05

 そこへ、「西(にし)」といふ色の蒼白(あをじろ)い男が出てきて、一抱へ抜きだして自分の前へ持つてくる。鬼どもは一生懸命に「西」を追ひかけてくる。自分が比礼(ひれ)をふると驚いて皆逃げてゆく。火は大変な勢で自分の書いたものを灰にしてゐる。黒い煙が竜の姿に化つて天上へ昇つてゆく。天上では電光のやうに光つて、数限りなき星と化してしまうた。その星明りに「西」は書類を抱へて、南の空高く姿を雲に隠した。女神(めがみ)の自分の姿は、いつとはなしに又元の囚人の衣に復(かへ)つてをつた。俄然寒風吹き荒(すさ)み、歯はガチガチと震うてきた。そして何だかおそろしいものに、襲はれたやうな寂しい心持がしだした。



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第10章 二段目の水獄 (10)

No. 010110


No. 010110-01

 自分は寒さと寂しさにただ一人、「天照大神(あまてらすおほかみ)」の神号を唱へ奉(たてまつ)ると、にはかに全身暖かくなり、空中に神光輝きわたる間もなく、芙蓉(ふよう)仙人が眼前に現はれた。あまりの嬉しさに近寄り抱付(だきつ)かうとすれば、仙人はつひに見たこともない険悪な顔色をして、

『いけませぬ。大王の命なれば、三(み)ツ葉殿(ばどの)、吾に近寄つては今までの修業は水泡に帰すべし。これにて一段目は大略探険されしならむ。第二段の門扉(もんぴ)を開くために来たれり』

と言ひも終らぬに、早くもギイーと怪しい音がした一刹那、自分は門内に投込まれてゐた。仙人の影はそこらに無い。

No. 010110-02

 ヒヤヒヤとする氷結した暗い途(みち)を倒(こけ)つ転(まろ)びつ、地の底へ地の底へとすべりこんだ。暗黒で何一つ見えぬが、前後左右に何とも言へぬ苦悶の声がする。はるか前方に、女の苦しさうな叫び声が聞える。血醒(ちなまぐ)さい臭気が鼻を衝いて、胸が悪くて嘔吐を催(もよほ)してくる。たちまち脚元(あしもと)がすべつて、何百間とも知れぬやうな深い地底へ急転直落した。腰も足も頭も顔も岩角(いはかど)に打たれて血塗になつた。神名を奉唱すると、自分の四辺(しへん)数十間ばかりがやや明るくなつてきた。自分は身体一面の傷を見て大いに驚き「惟神霊幸倍坐世(かむながらたまちはへませ)」を二度繰返して、手に息をかけ全身を撫でさすつてみた。神徳たちまち現はれ、傷も痛みも全部恢復(くわいふく)した。ただちに大神様に拍手し感謝した。言霊(ことたま)の神力(しんりき)で四辺遠く暗は晴れわたり、にはかに陽気づいてきた。

No. 010110-03

 再び上の方で、ギイーと音がした瞬間に、十二三人の男女が転落して自分の脚下に現はれ、「助けて助けて」としきりに合掌する。自分は比礼(ひれ)をその頭上目がけて振つてやると、たちまち起きあがり「三ツ葉様」と叫んで、一同声を合して泣きたてる。一同の中には宗教家、教育家、思想家、新聞雑誌記者、薬種商、医業者も混つてゐた。一同は氷の途(みち)をとぼとぼと自分の背後からついてくる。



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第11章 大幣(おほぬさ)の霊験 (11)

No. 010111


No. 010111-01

 一歩々々辛(から)うじて前進すると、広大な池があつた。池の中には全部いやらしい毛虫がウザウザしてをる。その中に混つて馬の首を四ツ合せたやうな顔をした蛇体で角(つの)が生えたものが、舌をペロペロ吐き出してをる。この広い池には、細い細い氷の橋が一筋長く向ふ側へ渡してあるばかりである。後から「松(まつ)」「中(なか)」「畑(はたけ)」といふ鬼が十字形の尖つた槍をもつて突きにくるので、前へすすむより仕方はない。十人が十人ながら、池へすべり落て毛虫に刺され、どれもこれも全身腫(はれ)あがつて、痛さと寒さに苦悶の声をしぼり、虫の鳴くやうに呻(うな)つてをる状態は、ほとんど瀕死の病人同様である。その上、怪蛇(くわいだ)が一人々々カブツとくはへては吐きだし、骨も肉も搾(しぼ)つたやうにいぢめてをる。自分もこの橋を渡らねばならぬ。自分は幸(さいはひ)に首尾よく渡りうるも、連の人々はどうするであらうかと心配でならぬ。躊躇逡巡進みかねたるところへ、「三葉殿(みつばどの)」と頭の上から優しい女の声が聞えて、たちまち一本の大幣(おほぬさ)が前に降つてきた。手早く手にとつて、思はず「祓戸大神(はらひどのおほかみ)祓ひたまへ清めたまへ」と唱へた。広い池はたちまち平原と化し、鬼も怪蛇(くわいだ)も姿を消してしまつた。数万人の老若男女の幽体はたちまち蘇生したやうに元気な顔をして、一斉に「三ツ葉様」と叫んだ。その声は、天地も崩れんばかりであつた。各人の産土(うぶすな)の神は綺羅星のごとくに出現したまひ、自分の氏子々々(うぢこうぢこ)を引連れ、歓び勇んで帰つて行かれる有難さ。

No. 010111-02

 自分は比礼の神器を舟木(ふなき)に渡して、困つてをつたところへ、金勝要神(きんかつかねのかみ)より、大幣をたまはつたので、百万の援軍を得たる心地して、名も知れぬ平原をただ一人またもや進んで行く。

 一つの巨大な洋館が、儼然として高く雲表(うんぺう)にそびえ立つてをる。門口には厳めしき冥官が鏡のやうな眼を見張つて、前後左右に首(かうべ)をめぐらし監視してをる。部下の冥卒が数限りもなく現はれ、各自に亡人を酷遇(こくぐう)するその光景は筆紙につくされない惨酷さである。自分は大幣を振りながら、館内へ歩をすすめた。冥官も、冥卒もただ黙して自分の通行するのを知らぬふうをしてゐる。「キヤツキヤツ」と叫ぶ声にふりかへると、沢山の婦女子が口から血を吐いたり、槍で腹部を突き刺されたり、赤児の群に全身の血を吸はれたり、毒蛇に首を捲かれたりして、悲鳴をあげ七転八倒してゐた。冥卒が竹槍の穂で、頭といはず、腹といはず、身体(しんたい)処かまはず突きさす恐ろしさ、血は流れて滝となり、異臭を放ち、惨状目もあてられぬ光景である。またもや大幣を左右左に二三回振りまはした。今までのすさまじき幕はとざされ、婦女子の多勢が自分の脚下(あしもと)に涙を流して集まりきたり、中には身体に口をつけ「三ツ葉様、有難う、辱(かたじけ)なう」と、異口同音に嬉し泣きに泣いてをる。一天たちまち明光現はれ、各人の産土神(うぶすなのかみ)は氏子(うぢこ)を伴なひ、合掌しながら、光とともにどこともなく帰らせたまうた。天の一方には歓喜にみちた声が聞える。声は次第に遠ざかつて終には風の音のみ耳へ浸(し)みこむ。



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第2篇 幽界より神界へ

No. 010200


第12章 顕幽一致 (12)

No. 010212


No. 010212-01

 自分が高熊山中(たかくまさんちゆう)における、顕界と、霊界の修業の間に、親しく実践したる大略の一端を略述してみたのは、真の一小部分に過ぎない。

No. 010212-02

 すべて宇宙の一切は、顕幽一致、善悪一如にして、絶対の善もなければ、絶対の悪もない。従つてまた、絶対の極楽もなければ、絶対の苦艱(くかん)もないといつて良いくらゐだ。歓楽の内に艱苦(かんく)があり、艱苦の内に歓楽のあるものだ。ゆゑに根(ね)の国(くに)、底(そこ)の国(くに)に墜(お)ちて、無限の苦悩を受けるのは、要するに、自己の身魂(みたま)より産出したる報いである。また顕界の者の霊魂(みたま)が、常に霊界に通じ、霊界からは、常に顕界と交通を保ち、幾百千万年といへども易(かは)ることはない。神諭(しんゆ)に、……天国も地獄も皆自己の身魂より顕出すると。故に世の中には悲観を離れた楽観はなく、罪悪と別立(べつりつ)したる真善美もない。苦痛を除いては、真の快楽を求められるものでない。また凡夫の他(ほか)に神はない。言を換ていへば善悪不二(ふじ)にして正邪一如である。……仏典にいふ。「煩悩即菩提(ぼんなうそくぼだい)。生死即涅槃(しやうじそくねはん)。娑婆即浄土(しやばそくじやうど)。仏凡本来不二(ぶつぼんほんらいふじ)」である。神の道からいへば「神俗本来不二(しんぞくほんらいふじ)」が真理である。

 仏の大慈悲といふも、神の道の恵み幸(さち)はひといふも、凡夫の欲望といふのも、その本質においては大した変りはない。凡俗の持てる性質そのままが神であるといつてよい。神の持つてをらるる性質の全体が、皆ことごとく凡俗に備はつてをるといつてもよい。

 天国浄土と社会娑婆とは、その本質において、毫末の差異もないものである。かくの如く本質においては全然同一のものでありながら、何ゆゑに神俗、浄穢(じやうゑ)、正邪、善悪が分るるのであらうか。要するに此の本然の性質を十分に発揮して、適当なる活動をすると、せぬとの程度に対して、附したる仮定的の符号に過ぎないのだ。

 善悪といふものは決して一定不変のものではなく、時と処と位置とによつて、善も悪となり、悪も善となることがある。

 道(みち)の大原(たいげん)にいふ。「善は天下公共のために処(しよ)し、悪は一人の私有に所(しよ)す。正心徳行は善なり、不正無行(むかう)は悪なり」と。何ほど善き事といへども、自己一人の私有に所するための善は、決して真の善ではない。たとへ少々ぐらゐ悪が有つても、天下公共のためになる事なれば、これは矢張善と言はねばならぬ。文王(ぶんわう)一たび怒つて天下治まる。怒るもまた可なり、といふべしである。

No. 010212-03

 これより推(お)し考ふる時は、小さい悲観の取るに足らざるとともに、勝論外道的(しようろんげだうてき)の暫有的小楽観もいけない。大楽観と大悲観とは結局同一に帰するものであつて、神は大楽観者であると同時に、大悲観者である。

 凡俗は小なる悲観者であり、また小なる楽観者である。社会、娑婆、現界は、小苦小楽の境界であり、霊界は、大楽大苦の位置である。理趣経(りしゆきやう)には、「大貪大痴(だいとんだいち)是(こ)れ三摩地(さんまぢ)、是(こ)れ浄菩提(じやうぼだい)、淫欲是道(いんよくぜだう)」とあつて、いはゆる当相即道(たうさうそくだう)の真諦(しんたい)である。

No. 010212-04

 禁慾主義はいけぬ、恋愛は神聖であるといつて、しかも之(これ)を自然主義的、本能的で、すなはち自己と同大程度に決行し、満足せむとするのが凡夫である。これを拡充して宇宙大に実行するのが神である。

 神は三千世界の蒼生(さうせい)は、皆わが愛子(あいじ)となし、一切の万有を済度せむとするの、大欲望がある。凡俗はわが妻子眷属(けんぞく)のみを愛し、すこしも他を顧(かへり)みないのみならず、自己のみが満足し、他を知らざるの小貪慾を擅(ほしいまま)にするものである。人の身魂(みたま)そのものは本来は神である。ゆゑに宇宙大に活動し得べき、天賦的本能を具備してをる。それで此の天賦の本質なる、智、愛、勇、親を開発し、実現するのが人生の本分である。これを善悪の標準論よりみれば、自我実現主義とでもいふべきか。吾人の善悪両様の動作が、社会人類のため済度(さいど)のために、そのまま賞罰二面の大活動を呈するやうになるものである。この大なる威力と活動とが、すなはち神であり、いはゆる自我の宇宙的拡大である。

No. 010212-05

 いづれにしても、この分段(ぶんだん)生死の肉身、有漏雑染(うろざつせん)の識心(しきしん)を捨てず、また苦穢濁悪(くゑじよくあく)不公平なる現社会に離れずして、ことごとく之(これ)を美化し、楽化し、天国浄土を眼前に実現せしむるのが、吾人の成神観(せいしんくわん)であつて、また一大眼目とするところである。

(大正十年二月八日、王仁)



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第13章 天使の来迎 (13)

No. 010213


No. 010213-01

 自分はなほ進んで二段目を奥深く究め、また三段目をも探険せむとした時、にはかに天上から何ともいへぬ嚠喨(りうりやう)たる音楽が聞えてきた。

 そこで空を仰(あふ)いでみると、白衣盛装の天使が数人の御供を伴れて、自分の方にむかつて降臨されつつあるのを拝(をが)んだ。さうすると何十里とも知れぬ、はるか東南の方に当つて、ほんの小さい富士の山頂が見えてくるやうな気がした。

 自分のその時の心持は、富士山が見えたのであるから、富士山の芙蓉(ふよう)仙人が来たものと思つた。しかしてその前に降りてきた天使を見ると、実に何とも言へぬ威厳のある、かつ優しい白髪の、そして白髯(しらひげ)を胸前(むなさき)まで垂(た)れた神人であつた。

 神人は自分に向つて、

『産土神(うぶすなのかみ)からの御迎へであるから、一時帰るがよい』

との仰せであつた。しかし自分は折角ここまで来たのだから、今一度詳しく調べてみたいと御願ひしてみた。

 けれども御許しがなく、

『都合によつて天界の修業が急ぐから、一まづ帰れ』

と言はるる其の言葉が未(ま)だ終らぬうちに、紫の雲にわが全身が包まれて、ほとんど三四十分と思はるる間、ふわりふわりと上に昇つてゆくやうな気がした。しかしてにはかに膝が痛みだし、ブルブルと身体(からだ)が寒さに慄(ふる)へてゐるのを覚えた。

No. 010213-02

 その時には、まだ精神が朦朧としてゐたから、よくは判らなかつたが、まもなく自分は高熊山(たかくまやま)の巌窟(がんくつ)の前に端坐(たんざ)してゐることに、明瞭(はつきり)と気が付いた。

 それから約一時間ばかり正気になつてをると、今度はだんだん睡気(ねむけ)を催(もよほ)しきたり、ふたたび霊界の人となつてしまつた。さうすると其処(そこ)へ、小幡神社(をばたじんしや)の大神(おほかみ)として現はれた神様があつた。それは自分の産土の神様であつて、

『今日は実に霊界も切迫し、また現界も切迫して来てをるから、一まづ地底の幽冥界を探究する必要はあるけれども、それよりも神界の探険を先にせねばならぬ。またそれについては、霊肉ともに修業を積まねばならぬから、神界修業の方に向へ』

と仰(あふ)せられた。そこで自分は、

『承知しました』

と答へて、命のまにまに随(したが)ふことにした。

No. 010213-03

 さうすると今度は自分の身体を誰とも知らず、非常に大きな手であたかも鷹(たか)が雀(すずめ)を引掴(ひつつか)んだやうに、捉(つか)まへたものがあつた。

 やがて降された所を見ると、ちやうど三保(みほ)の松原(まつばら)かと思はるるやうな、綺麗な海辺に出てゐた。ところが先に二段目で見た富士山が、もつと近くに大きく見えだしたので、今それを思ふと三穂神社(みほのじんしや)だと思はれる所に、ただ一人行つたのである。すると其処(そこ)に二人の夫婦の神様が現はれて、天然笛(てんねんぶえ)と鎮魂(ちんこん)の玉とを授けて下さつたので、それを有難く頂戴して懐(ふところ)に入れたと思ふ一刹那、にはかに場面が変つてしまひ、不思議にも自分の郷里にある産土神社の前に、身体は端坐してゐたのである。

No. 010213-04

 ふと気がついて見ると、自分の家はついそこであるから、一遍帰宅(かへ)つて見たいやうな気がしたとたんに、にはかに足が痛くなり、寒くなりして空腹を感じ、親兄弟姉妹の事から家政上の事まで憶(おも)ひ出されてきた。さうすると天使が、

『御身(おんみ)が今人間に復(かへ)つては、神の経綸(しぐみ)ができぬから神にかへれ』

と言ひながら、白布(しらぬの)を全身に覆ひかぶされた。不思議にも心に浮んだ種々の事は打忘れ、いよいよこれから神界へ旅立つといふことになつた。しかして其の時持つてをるものとては、ただ天然笛と鎮魂の玉との二つのみで、しかも何時(いつ)のまにか自分は羽織袴の黒装束になつてゐた。その処へ今一人の天使が、産土神の横に現はれて、教へたまふやう、

『今や神界、幽界ともに非常な混乱状態に陥つてをるから、このまま放つておけば、世界は丸潰れになる』

と仰せられ、しかして、

『御身はこれから、この神の命ずるがままに神界に旅立ちして高天原(たかあまはら)に上るべし』

と厳命された。

No. 010213-05

 しかしながら自分は、高天原に上るには何方(どちら)を向いて行けばよいか判(わか)らぬから、

『何を目標(めあて)として行けばよいか、また神様が伴れて行つて下さるのか』

とたづねてみると、

『天(あめ)の八衢(やちまた)までは送つてやるが、それから後は、さうはゆかぬから天の八衢で待つてをれ。さうすると神界の方すなはち高天原の方に行くには、鮮花色(せんくわしよく)の神人が立つてをるからよくわかる。また黒い黒い何ともしれぬ嫌な顔のものが立つてをる方は地獄で、黄胆病(わうだんや)みのやうに黄色い顔したものが立つてゐる方は餓鬼道(がきだう)で、また真蒼(まつさを)な顔のものが立つてをる方は畜生道(ちくしやうだう)で、肝癪筋(かんしやくすぢ)を立てて鬼のやうに怖ろしい顔のものが立つてゐる方は修羅道(しゆらだう)であつて、争ひばかりの世界へゆくのだ』

と懇切に教示され、また、

『汝(なんぢ)が先に行つて探険したのは地獄の入口で、一番易(やす)い所であつたのだ。それでは今度は鮮花色の顔した神人の立つてゐる方へ行け。さうすればそれが神界へゆく道である』

と教へられた。しかして又、

『神界といへども苦しみはあり、地獄といへどもそれ相当の楽しみはあるから、神界だからといつてさう良い事ばかりあるとは思ふな。しかし高天原の方へ行く時の苦しみは苦しんだだけの効果があるが、反対の地獄の方へ行くのは、昔から其の身魂(みたま)に罪業(めぐり)があるのであるから、単に罪業(めぐり)を償ふのみで、苦労しても何の善果も来さない。もつとも、地獄でも苦労をすれば、罪業を償ふといふだけの効果はある。またこの現界と霊界とは相関聯してをつて、いはゆる霊体不二(れいたいふじ)であるから、現界の事は霊界にうつり、霊界の事はまた現界にうつり、幽界の方も現界の肉体にうつつてくる。ここになほ注意すべきは、神界にいたる道において神界を占領せむとする悪魔があることである。それで汝が今、神界を探険せむとすれば必ず悪魔が出てきて汝を妨げ、悪魔自身神界を探険占領せむとしてをるから、それをさうさせぬやうに、汝を神界へ遣(つか)はされるのだ。また神界へいたる道路(みち)にも、広い道路もあればまた狭い道路もあつて、決して広い道路ばかりでなく、あたかも瓢箪(へうたん)をいくつも竪(たて)に列(なら)べたやうな格好をしてゐるから、細い狭い道路を通つてゐるときには、たつた一人しか通れないから、悪魔といへども後から追越すといふわけには行かぬが、広い所へ出ると、四方八方から悪魔が襲つて来るので、かへつて苦しめられることが多い』

と教へられた。間もなく、神様の天使は姿を隠させたまひ、自分はただ一人天然笛(てんねんぶえ)と鎮魂(ちんこん)の玉とを持ち、天蒼(てんあを)く水青く、山また青き道路を羽織袴の装束で、神界へと旅立ちすることとなつた。

(大正十年十月十八日、旧九月十八日、外山豊二録